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酒造の町・伊丹郷町
猪名川西岸の稲名野(いなの)は、かつて都の貴族たちが好んで詠んだ歌枕の地でしたが、
しなが鳥、風、水など、荒涼とした情景がイメージされています。猪名川流域の開発がすすむと、
荘園橘御園が形成され、柑橘類、菖蒲などが都へ貢納されてました。
伊丹氏を称する武士団が史料にあらわれるのは十四世紀のはじめです。伊丹氏はその後、
およそ三百年にわたって伊丹にあり、猪名川西岸に築いた伊丹城に居住しました。
戦国時代、伊丹が没落し、そのあと伊丹城に入城したのは、織田信長の武将・荒木村重で、
伊丹城は有岡城と改称されました。JR伊丹駅を西側に降りると、石垣が続く高台がみえます。
ここが本丸のあった中心部ですが、村重の築城した有岡城はこれだけでなく、
城下町を城郭の中にとりこんだ総構(そうがまえ)といわれる築城法でした。
天正七年(1579)、有岡城が落城して以後、ふたたびここに城が築かれることはなく、
その後の町絵図には古城山と記されています。有岡城落城ののち、伊丹郷は酒造りの町として発展しました。
伊丹で造られる酒のほとんどは江戸に送られましたが、「伊丹は日本上酒の始めとゆうべし」
(日本山海名産図会)とあるように、最も早く江戸積み酒造業が興った地です。
当時から四百年余の酒造りの歴史を持つ酒造メーカーの造り酒が全国に出荷されています。
 
●伊丹の酒・丹醸●
上方から江戸に送られた、いわゆる「下り酒」は、江戸の人々にたいへん珍重されました。中でも伊丹の酒は、
とくに「丹醸」といわれた高級酒で、中世大和の国の寺院で造られた「南都諸白」の酒造法を引き継ぎ、
より完成度の高い澄み酒が造られました。この酒造技術によって現在の日本酒(清酒)が生まれたのです。
かつて伊丹郷町における酒造りは町をあげての産業です。「久美すゝり」とゆう当時の書物に次のように紹介されています。
「伊丹 酒匠の家六十余戸あり、皆諸国へ送る也、禁裏調貢御銘を
老松といふ、山本氏にて造る、
或は富士白雪の銘酒は筒井氏にて造る、菊名酒は八尾氏にて造るなり、当所の領主は近衛殿にして、
昔より村甲は酒匠の者、更々郷中の支配を蒙る」伊丹郷町は酒と酒造家が中心となって運営され、経済的な発展をとげました。
そんな伊丹を井原西鶴は「津の国の隠れ里」と記しています。
 
伊丹の酒造りの歴史がわかる旧岡田家住宅 国指定重要文化財(平成4年1月21日指定)
店舗は、延宝2年(1674)に酒造家松屋与兵衛によって建てられた全国的にも数少ない年代が確実な町屋です。
酒蔵は、その後に増築されたものです。蔵の所有者は度々変わり、明治33年に岡田正造の手に移り、昭和53年
まで酒造りが行われていました。ここで造られていたお酒は江戸時代には「松緑」、明治時代には「富貴長」、近年まで
岡田家で造られていた酒は「
大手柄」が主要銘柄でした。
 
建築年代があきらかで、現存する日本最古の酒蔵として重要文化財に指定されました。
度重なる大火にも焼け残り、昭和58年まで実際に使用されてました。平成7年の阪神大震災
にも耐えましたが、それを機に解体復元、現在は一般公開されています。
 

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